考えろ、感じろ。性的表現は考察と可分ではない
TLに何度か回ってきたことのある記事1があった。
その中で「嘗て考察が殆どだった『サブカルファン』2たちの現在のコミュニケーションは『性的表現』3前提であるケースが圧倒的多数を占めている」という説が宜しくない意味で、そして両者を対立させる構図で展開されていた。
ボクにはそれが妙に引っかかった。
で、考えた。
結果として引っかかった理由がやっと分かった。
それは、考察と性的表現の可分性が証明できていないから。
考察と性的表現が不可分である可能性について、もう少し詳しく
とは言え、これは拍子抜けするほど簡潔にまとめられる。
まず実体験としてだが、ボクのいる界隈の片隅ではとある作品のとあるCPが性的関係を伴うかどうかについて以前議論が交わされたことがあった。
また、より広い話をすれば創作が本当に全く考察なく作られているかを受け手が判断するのは非常に難しい。というかおそらく無理。
サブカルファン、とりわけ2次創作者が考察と嗜好をどの程度のバランスで重視するかは、その発言からある程度予測することはできるけど、まあ断定できるワケはないよね。
ということで、この2点だけでも二者の可分性を疑問視する理由になる。
個人的にも土台となる考察上必要になったときはSSをR-18にしたりするので、ボク自身が多数派だと思っていないとは言えど、無考察が多数派だともずっと思っていなかったのだけど、その考え方の土台が今日よく分かった4。